ぴよぴよ日和

結婚5年、そろそろ子供が欲しい30代共働き主婦の、天使待ちの日々を綴ります。

2017-10

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治療の記録~FCT転院後-3回目の移植まで~

GW中に採卵した卵たちは胚盤胞まで培養を進めて、凍結保存することとなっていたので、採卵の翌日に仙台へ帰省しました。
父の実家は仙台よりも北の東松島というところにあり、津波で家屋が浸水していました。
誰も住んでいなかったのが幸いでしたが、後片付けがなかなか進まず、ダンナ様と共に手伝いに行ったのです。
この時ばかりは、身軽である自分で良かったと思いました・・・スコップで汚泥を掬ったり、とにかく重労働でしたから。

実家にいる間に、胚の中間報告メールが届きました。
結果は、12個のうち11個が受精し、10個分割している、とのこと。
「分割しないのではないか」という不安がずっと付きまとっていたため、分割している、ということに本当にホッとしました。
受精障害や、分割障害ではなかった!ということだけでも、安心できました。

GW明けに、凍結確認で病院へ行きました。
胚盤胞になったのは5個、まずまずの結果です。
4AA、4AB、4BB、3BB、G1でした。
本当のところ、もっとAAとかABがあるかな、と思っていたので少し残念でしたが・・・。
4AAと4BBとG1は顕微授精、4ABと3BBは体外受精で出来た卵とのことでした。

そして翌月、ホルモン周期での1回目の移植。
4AAの1個を戻すことになりましたが、今度は「ちゃんと戻ってくれなかったらどうしよう・・・」と、もうひとつひとつのことが不安だらけなのか!と突っ込まれそうな不安っぷり。
土曜の移植ということもあり、完全に戻る前の収縮中の卵でした。
鍼灸は前日の夕方に行っていて、それもタイミングとして早いのでは?と思っていました。

FCTは中間判定が無いので、エストラーナテープと膣座薬をひたすらきっちり続け、2週間待ち続けました。
なんの兆候も無いまま、BT11日目、待ちきれず妊娠検査薬を試して、陰性。
BT14日目、病院でも(当たり前だけど)陰性。
AAの卵を戻したのに、やっぱり1回じゃ無理だったか・・・という感じでした。

ホルモン周期は期間を空けなくていいということで、すぐさま2回目のチャレンジ。
7月の初め、4ABの卵を戻しました。
前回、完全に戻ってないうちに戻したことが気になっていたのですが、このときは平日だったので通常の午後一番での移植。
鍼灸もその日のお昼に行けたので、何となくうまく行く予感がしていました。

移植後1週間は、なんの兆候もなく・・・足がだるくなったのはちょうど1週間目くらいのことでした。
そして胸が張り始め、BT12日目に茶色いおりものが出て、何となく「妊娠したかな」と感じました。
結果、陽性!!
HCGは1700以上あり、とりあえずちゃんとでているとのこと。
すぐにダンナ様にメール、実家の母に電話。
治療のことを知っているうちの母は、電話口で涙を堪えているようでした。

5w5d、胎嚢確認。
12.4mmの胎嚢が見えましたが、胎芽は見えませんでした。
院長先生は何も言わなかったけれど、少し胎嚢が小さいように感じたし、なんの影も見えなかったので不安を覚えました。
この数日後、胸の張りがなくなりました。
つわりらしき症状も何もなく、どんどん不安が募っていきました・・・。

そして6w5d、心拍確認、のはずの日。
胎嚢は11.7mmしかありませんでした。
胎芽も見えず、この時点で”流産”と診断されました。
やっぱり、という思いと、なんで?という思い・・・しばらく診察台から動けませんでした。
診察してくださったS先生は「この時期の流産は15%くらいの人に起こる」ということ、「ほとんどが赤ちゃんの染色体異常などが原因で、お母さんが悪いわけではないから、自分を責めないように」とのことを、ゆっくりと伝えてくださいました。
ホルモン補充を前日で止めているから、1週間以内に自然と流れるはずなので、手術はしない方向で、との診断でした。
FCTでは、出来る限り自然に流れるのを待って、赤ちゃんを無理やり掻き出したりしない、という方針のようで、それが本当に有難かったです。

診察の3日後の夜、出血が静かに始まりました。
そしてその翌日、重めの生理痛のような痛みに、耐え切れず何年か振りで鎮痛剤を飲みました。
その直後、何か大きめの塊が出た感覚があり、恐る恐るトイレに行くと、生理のときと明らかに違う、透明の小さな丸い塊が出ていました。
「胎嚢だ」とすぐに分かりました。

血を洗い流して、乾燥しないように水で濡らしたラップに包み、ダンナ様の帰りを待って、どうするか相談をしました。
このまま捨てるのは忍びないし、病院からは特に持参するように指示もされていない。
うちはマンションで埋める場所も無い。
2人で話し合って、翌日のお盆のお墓参りで、ダンナ様の実家のお墓に埋めようと決めました。

ダンナ様の実家のお墓に行って、みんなでお参りした後、ダンナ様はこっそりお墓の脇のところに赤ちゃんを埋めてきてくれました。
きっと、お盆で帰ってきたお祖父ちゃん、お祖母ちゃんがあちらへ帰るときに、一緒に連れて行ってくれるよ、と言って。
もうあの子はいないんだ、逝ってしまったんだ、と思うと辛くて、帰りの電車でこっそり泣きました。

あと1回生理を見送ったら、移植できると聞いていましたが、結局移植が終わっても、まだ私はこの子のことを引きずっていたのだと今では思います。
9月の末に3回目の移植をする時、またもや土曜の移植だったにも関わらず、早くあの子にまた会いたいという一心で、一日も早く移植したくて焦っていた割には、生活が以前より乱れていたり(チョコレートばかり食べていた)、心ここにあらず、という感じでした。
結果、4BB(移植時5BB)と3BB(移植時4BB)を移植するも、陰性。。。
残り1個のG1では心許無いので、と副院長のY先生に再度採卵を勧められ、やっと気持ちを切り替えようという気持ちになれました。

5月の採卵は、私にとって万全の時期ではなかったのかもしれません。
震災の後、心配で不安だった時期に作られた卵だったし、これは誰にも分からないことだけれど・・・もしかしたら放射線の影響だってあったのかもしれないと思うのです。
私だけでなく、会社に毎日通っていたダンナ様は、外に出ていて放射線に当たっていた時間も長かったはず。
放射線だけの影響ではなく、ストレスの方が大いに影響した可能性が高いですが、そんな時期に採卵した卵たちは、ほんの少し、弱い子達だったのかなぁ、と思っています。



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プロフィール

なお

Author:なお
私、30代半ば。ダンナ様、40代突入。
結婚してはや6年。
しばらくダブルインカムで頑張ろうとしていたり、途中でマンションを買ったりして、子づくりにやや乗り遅れ・・・

お子待ち本格開始は、2009年8月の終わり。
2010年2月から病院デビュー。
2010年11月からKLCデビューしました。
1回目の体外受精は、未熟卵で受精せず、移植中止。
2回目の体外受精は、成熟卵2個のうち1個受精→分割せずで移植中止。
しばらく自然に、タイミングで頑張り、更にFCTへ転院。
3回目の採卵 12個採卵→11個成熟卵→10個受精(顕微6個、体外4個)→10個とも分割確認→胚盤胞5個
1回目の移植 HR周期→陰性(4AA、AHあり)
2回目の移植 HR周期→陽性判定(4AB、AHあり)

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